けいちゃん

鶏ちゃん(けいちゃん)の歴史についてご紹介!

鶏ちゃんをご存じでしょうか。
鶏ちゃんとは、岐阜県の南飛騨地方や奥美濃地方で伝わる郷土料理です。
味噌や醤油のタレにしっかりと浸した鶏肉と、お好みの野菜を鉄板の上で炒めるだけで完成します。
今回は、そんな鶏ちゃんの歴史についてたっぷりとお伝えいたします。
ぜひ最後までご覧ください。

□鶏ちゃんとは?歴史を解説します!

実はこの鶏ちゃんは、「廃鶏」を有効に活用する方法を考えた結果生まれたものです。
郡上や下呂にある地域では、当時各家庭でニワトリを飼育して卵を得ていました。
しかし、ニワトリは2年もすれば卵を産まなくなる「廃鶏」になります。
その「廃鶏」を美味しくいただく方法として、鶏ちゃんと呼ばれる料理が作られるようになったのです。

この話によると家庭料理として親しまれていた鶏ちゃんが、広まったことで商品化されていったように思えますが、実はそうではありません。
場所ごとにその歴史を見てみましょう。

*下呂地方

昔にさかのぼり昭和30年代になった頃、下呂地方では1000羽単位で採卵を目的とした養鶏場が経営されるようになりました。
そうなると毎日数羽出てきてしまうのが、先程も述べた「廃鶏」です。
この「廃鶏」を有効活用しようと鶏ちゃんが考えられました。

一方、ある主婦から「精肉店に味付き鶏肉を販売してほしい」と依頼されたことから鶏ちゃんが誕生したという歴史もあります。
さらにいうと、伊勢湾台風の復旧作業や公共工事により労働者が増加し、それに伴い飲食店も多くなりました。
その際に、メニューの1つとして鶏ちゃんを出した歴史もあります。

下呂地方のこの3つの歴史は、どれも同時多発的に起こったそうです。
非常に面白いですよね。

*郡上地方

まず、御母衣ダムの公共工事によって増えた労働者向けの焼き肉店で、牛や豚の内臓肉のホルモン料理に鶏肉を加えて、鶏ちゃんができたという歴史があります。
この際、鶏ちゃんの味付けは朝鮮からの労働者から教わったのだという証言が遺されているようです。

また、郡上地方では羊肉を用いたジンギスカン料理が盛んに売り出されていましたが、やがて羊の飼育は行われなくなり、衰退していきました。
その際に、代わりに盛んになったのが養鶏場です。
もう2度も登場しましたが、ここでも「廃鶏」が有効活用されて鶏ちゃんが生まれました。

昭和40年代になると、真空冷凍パックの鶏ちゃんが開発されたことや、鶏肉の価格が低下したことにより、鶏ちゃんが急速に普及しはじめます。
そうして都市部まで知れ渡るようになり、現在では岐阜の郷土料理として知られるようになったのです

□まとめ

鶏ちゃんとは、岐阜県の郷土料理です。
鉄板を囲んで皆で元気にいただける料理として、いまでも多くの人に愛されています。
鶏ちゃんの味付き肉を買えば、お家のフライパンやホットプレートでも簡単にお楽しみいただけます。
あなたもぜひ鶏ちゃんを試してみてください。

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